下の記事を書いて思ったのだが、自分は「カワイイ」とか「カッコいい」に対する感度が変なようだ。
下の記事で「チュニック」の例を出したが、思えばチュニックの身体に対する機能は同じでも色やパターンの違いは価値になるよな…。いやいや、でもやっぱり万人がそれをいいとは言わない。
ああ、万人か。みんなに受け入れられる、受け入れられるは違うな、「みんなのためにある」モノを作りたいのかな。
でも「かわいい」とか「カッコいい」だって商品としては大事な価値だよな。大事な価値だけど、万人のためにあることは万一にもない。だからそのことについて自分の中で消化できないのかな。「カワイイ」「カッコいい」以外のプロダクトの価値だって「みんなのため」はないかもしれないけど、人間が人間である以上その身体によって使われるプロダクトの「機能」にはある一定値の納得するラインかあるはず。
でも「カワイイ」「カッコいい」にはそれがない。…のかな? ないわけじゃないんだろう。けど何かそれが感覚としてわからない…。わからないから価値観として納得していない。
そんな自分でもちゃんと「かぁっこいい!!」となったりする。そう言う脳はあるみたいだ。最近だとフォルクスワーゲンの新しい「シロッコ」に、「カッコええー、乗ってみたい!」となった。なったけど、いったん考え始めると「このライトの位置は何故こうなのか、この車体のライン何故…うんぬんかんぬん」となってしまう。これは悪いクセだろうか? それとも自分が「カッコいい」ということに対してバカなだけか? デザイナーってそういうところでどうやって納得しているんだっけ?
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