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同じ大学に通う、日本画を描いている友達と話していて面白かったのが、「自分の絵の個々の要素をプロにまかせてみたい」と言ったことだ。

曰く、例えば四角形を画面に描くとして、その四角形がどこまでも「描く本人の手クセ」でどの絵にも現れるのがつまらないと言う。それならば、自分より面白い四角形を描く人物、もっと面白い画枠を作る人物に協力してもらいつつ一枚の絵を完成させると、さらに良い絵になるのでは…という発想だ。

彼は「個性」という一般に重要視される要素さえも抜きにして「絵画」としての日本画が、画面として高まる方法を考えていた。絵とは、「素晴らしい画面」とは個人の物なのか? そんな風に自らの絵を捉えるなんて変わっていると思う。でもアートが「スゴい」と思われる理由が「個性」という得体の知れないモノのせいなのか、という視点に興味を惹かれた。

何故ならば、「プロダクトデザイン」の世界は各プロが分業してクオリティを上げるというのは当たり前のことであるからだ。最近はプロダクトデザイナーとは得てして個人の名で語られることが多いけれども、本来それはおかしい。ほぼ、自分1人で総てをやっていることなんてない。

そして最近の流れの一つとして、作家性、一点物の性格の強い「プロダクト」が市場で注目を集めていることを伝えると彼も興味を持ってくれた。それは、「アート」と「デザイン」が近づいている証拠のように思えたからだ。それもどちらかに寄るのではなく、相互に寄っている。

いつかその動きがクロッシングしてしまうかもしれない。そういうことがあっても面白いかもしれない。それが良いことか悪いことかはわからないけれど。

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今日は大学から、京指物の制作とデンマークから家具の輸入、販売をする「興石(こうせき)」さんを見学させていただいた。

興石さんには、ヴィンテージものの北欧家具が多数展示されている。ウェグナー氏や、フィン=ユール氏の作品を改めて間近で見ると、その曲面構成の精緻さに驚かされる。

また京指物のコーナーでは、今度は木という只でさえ年月環境で狂っていくモノを、直線、平面にビシーッと合わせてしまう技に触れ驚かされる。

そこで感じたのは、「職人」と「デザイナー」という言葉が一体になった姿だ。
物作りの両輪。このことについて自分はまだまだ知らないし、もっと考えたい。

昨日、京都駅伊勢丹で行われていた「円空・木喰展」に行く。
精神面がクオリティを上げる実例。祈りの感情だけによって作られた造形。
その思いが木っ端の中の仏様を見つけ出したりできるんだろう。
一つの思い遂げようとすることは強い。

久しぶりに書いたらえらく長文になったのでたたんでおく↓

下の記事を書いて思ったのだが、自分は「カワイイ」とか「カッコいい」に対する感度が変なようだ。

河原町の元・立誠小学校で昨日まで行われていた、京都市立芸術大学、京都嵯峨芸術短期大学、京都造形大学、京都精華大学合同の「京都同時代学生陶芸展」を見てきた。

予備知識何にもなしで行ったが、色々な形態の陶芸による作品が数あって楽しかった。
たくさんの作品がある中で、個々の感想とは別に思うことがあったので、それを書く。

また若者の大言ですが。

何だか大分放置してしまって、その間に3900ヒットも過ぎ夏休みも終わってギギギ…という感じですね。
放置中覗いてくださった方々ありがとうございます。

放置中も何だか色々行っていたのでちょこちょこと簡単に羅列だけしておく。

r-140.jpg昨日、京都市立芸大ビジュアルデザイン専攻4回生有志による展覧会「対話のわ」に行ってきた。

この展覧会は「コミュニケーションの展覧会」をテーマとしているところが特徴。「象」から「舞妓」、「舞妓」から「お化け」といったフレーズをそれぞれの作品のテーマとし、それを繋げていくことで1つの展覧会としての「コミュニケーション」を見せるというのがコンセプトである。

テーマとなるフレーズが一見バラバラなのが面白い。それがそれぞれの表現で表されていて、しかもフレーズが繋がってくことで1つになっていくということに興味をそそられた。

同級生たちの想像力が溢れているのには本当に刺激を受ける。
とても興味深い展覧会なので、ぜひ。

場所 元・立誠小学校(阪急京都線河原町駅 徒歩5分)
20日まで、会期中無休、入場無料。

r-139.jpg今更ながら、初めてコカ・コーラの「い・ろ・は・す」を飲んだ。
確かに容器はペコペコだった。

でもこのコンセプト、そんなに騒ぐほどのことだろうか。例えば外国産の飲料のペットボトルには「破けるんちゃうかコレ」ってくらいペッコペコのものもある。なのに売る側が「これが新しいペットボトルのカタチだ」っていわれても「ふーん」ってなもんである。

というか、そう思うんだったらコカ・コーラの製品全部この容器にしたらええやん。それができない今の日本の価値観。キュウリはまっすぐがいい。ペットボトルはちょっとやそっとじゃへこまぬものがいい。

こういう価値観が、「い・ろ・は・す」を特殊なものにしているのだろう。それはもう古いんと違うの。日本、というか世界のモノ作りはこれから今まで経験したことのない領域に入ると感じる。というか自分ら若いもんがそうしていかなくちゃならないと思う。

「い・ろ・は・す」を改めて見て、そんな大きなことを考えてしまう。

r-136.jpg今日、桂離宮に見学に行ってきた。桂離宮は1615年頃、八条宮初代智仁親王により宮家の別荘として創建され、その後1662年頃までに現在の姿が整えられた。現在は宮内庁管轄、国有財産である。

見学ルートに沿って係員とともに巡る形式なので内部は詳しく見ることができないが、古書院・中書院・新御殿の縦横に整えられた外観などを楽しめる。また、松琴亭の襖の青と白による市松模様など、現代でも十二分に通用する空間・意匠の作り方など、学ぶことも多い。

r-138.jpg建物も良かったが、自分の印象に残ったのは庭の見事さであった。360°どこを見ても絵になっている。なのに、客人に対しての心配りがすごい。例えば、茶室までの道のりにおいては、庭の景色をわざと見せないようになっている。

また、特に足下の飛石に感銘を受けた。「真・行・草」と種類があり、御殿に向かうに従い緊張と緩和を表現するというのもすごいが、茶室までの通路に飛石を使う理由が「足下に意識を使わせることで、茶室までは景色を意識させないため」、と聞いてはその気配りに嘆息するばかりである。

そしてポンポンと簡単におかれているように見える自然石の飛石の表情が、本当に素晴らしいのに驚いた。こういう仕事は率直にすごいと思う。

大学の近くにありながら、予約が必要なのもあってなかなか機会がなかったが、いやはや勉強になった。

 繁華街や百貨店などを歩いていていつも思っているのが、「服売り過ぎちゃう?」ということである。特に女性もの。百貨店なんか、2階から6階まで世代毎にミセスとかヤングとか、とにかくたっくさんの服が所狭しと並べられていてクラクラしてしまうほどだ。

だが言い換えれば、そこで売られているもののほとんどが結局ゴミになってしまうんと違うの。まぁそれは服だけじゃなくスーパーとかでも感じているけれど…。でも決定的に違うのは、その大量に売られているものがすべて「服」というカテゴリーに含まれている事である。そう見ると圧倒的に同カテゴリーのものがめちゃくちゃにたくさん売られているのではないか。

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