大阪の国立国際美術館でやっている「液晶美術 Still/Motion」展に行ってきた。
この展覧会は、液晶モニターによる「映像」での美術作品をテーマとし,絵画という静止した世界と映像という動的世界を繋ぐことをコンセプトにしている。どの作品もフレームとしての大型液晶モニターに映し出されることで展示されている。
行ってまず感じたのは、鑑賞者がみんな座っていることだった。
実際どの作品も何らかの動きをループしているので、鑑賞者は必然的に作品の前に長く立ち止まらなければならない。そのため今回の会場内には他の展覧会より多くのベンチが設置されていた。どの鑑賞者もベンチに座り、それぞれの作品をじーっと、またはぼぉーっと眺めている。
今日はたくさん人が来ていたのだが、その皆がじーっと作品を見つめていることに気付いた。鑑賞者はその作品に集中している間、ほぼ身じろぎしない。作品の方が動いているのに、逆に鑑賞者は普通の絵画や彫刻を観るときよりも静止してしまっているのだ。客観的に観ると、この対比が何とも面白かった。
主催者は「絵画に動きが介在し、映像に絵画と同質のイメージが立ち現れるような、時間芸術と空間芸術とが融合したような不思議な世界を、私たちは目の当たりにすることになるでしょう」と述べているが、自分はさらに「作品と鑑賞者」という視点から見ても新たな時間のあり方、空間のあり方があるように思った。展覧会という場で、壁や部屋にある作品だからこそ動作芸術としても劇場などとはまた違う作品との対峙の仕方を提示しているような気がする。
もちろん作品そのものもたいへん面白かった。個人的に気に入ったのはドミニク-レイマンの「Yo Lo Vi」。ゴヤの同名の版画を念頭に置いたこの作品は,青く薄暗い空間に張付けにされた男が描かれている。その作品を鑑賞しようと我々が近づくと、作品上部に設置された監視カメラを通じて数秒遅れで画面上に自分が「ふっと」現れるのだ。画面上にいる「自分」は張付けにさけた男を見ている格好になる。
タイムラグによりあたかも自分の意志に反するように、だが確実に自分の意思によって作品上に現れる自分と、張付けにされた男を見る、という背徳を感じる演出が「鑑賞」の意味やどういう行為なのか、という美術館では考えもしないことを問いかけているのが上手いなぁ…!と感心してしまった。
それとともに鑑賞者たちが作品のカラクリに気付き、笑顔を見せたり、わざと動いてみせる様がことさら張付けの男に向けられているように見えたのが何とも恐ろしい作品だ…と背筋が寒くもなった。
「観ること」を考えさせられる展覧会だった。
国立国際美術館→こちら
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